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サーカスが来る
自分の作品の中では最高傑作だと思っています。この曲を色モノだと思っている人もいるし、この曲を聴いて私を変わり者だと思っ
た人もいます。しかしそのどちらでもありません。思想的なものや特定の人々に対する何かもありません。一つのストーリーとして聴
いて下さい。
河童
この曲を作ったのは2003年の7月なのですが、この年は結局夏らしい夏が来なかった年でした。特にこの曲を作った旅先の山形
県をはじめとする東北地方は、梅雨が明けなかった‐明確な季節の変化が認められないまま秋が来てしまった‐という事で、実感と
して本当に「夏が無かった」様でした。近年は異常気象が多くて冷夏とか暖冬とかいう言葉を良く聞きますが、夏らしい夏が来なか
った年も何度もあり、そういう年は夏が大好きな私は本当にヘコんでしまいます。なぜかこの年は特に夏が来るのがやたら待ち遠し
く感じられた年で、待つだけ待って空振りという感じで、特に落ち込みが大きかったんです!この年の夏は何度も仕事で山形県の
日本海側の町に行きました。そしてやがて来る夏に想いを馳せながらこの曲を作りました。出来上がった日は土砂降りでした。結
局あれだけ何度も行ったのに一度も晴れませんでした・・・是非とも晴れた夏の日に泳ぎに行きたいです!
えっ?何で「河童」なのかって?
いや、まぁ、その・・・
嘘
この歌を作った頃からインディーズの配信サイトなんかに曲をアップするようになりました。この歌はそれまで全く知らなかった方から
高評価してもらったり、一つの転機になった歌かも知れません。「作品は古き良き時代のフォークやロックっぽく」、「アレンジはテクノ
っぽく」という理想のスタイルがだんだん明確になって来ました。かつてはギター一本で曲を作って、MTRで多重録音・・・という感じ
だったんですが、本格的にDTMをやるようになってからは、そのあたりも画期的に変わって来ました。学生時代にそういったモノが
あったら良かったのになぁ・・・なんて思ったりもしますが、ギター一本の時代があったからこそ、今があるような気がします。無駄な
時間は決して過ごしてはいないんです。きっと!
机
「一体何のために曲なんて作るんだろう?」この曲の事を思い出す度に自問します。やっぱり最初に作った歌なのでそういう想いが
強いのでしょう。この歌を作った中一の頃・・・「本当にあったのだろうか?」なんて考える時があります。あまりにも遠い過去の様で
ありながら、なおかつ当時の辛かったことはまるで昨日の事の様に思い出す・・・それこそ幻と言うか夢(悪夢に近い)と言うか・・・。
そうか、思い出した!当時は嫌な事を忘れるために歌を作っていたんだ・・・。「あの頃に帰りたい?」・・・いや、絶対帰りたくない!
「やり直したい?」・・・いや、これまで築き上げたものを失くしたくない!時々子供を見て羨ましく思う時があるけど、きっと誤解だ。
みんな悩んでいるんだ。あの頃の私の様に(笑)!
未来
多くの人たちはタイトルから、「嫁さんに捧げる歌」だと思ってたみたいですけど、東京で一人暮らしをしていた頃作ったこの歌には、
実は自分にとっての深〜い意味が隠されているんです。
当時、出版社への漫画の持込でも、オリジナル曲のオーディションへの参加でも、とにかく壁にブチ当たっていました。「最後にする
かな・・・。」とりあえず次の曲か漫画がダメだったら止めようと決め、最後のチャレンジをすることにしました。尾崎豊さんが受けたこ
とで有名なソニーのオーディションに応募する事に決めました。
応募曲を作るにあたって色んな体験を思い起こしていた時、忘れかけていた幼い頃の奇妙な体験が蘇ったのです。「あの体験は一
体何だったんだろう!?」3〜4歳頃の私はある時空を眺めていました。その時!空がまるで映画のスクリーンの様に映像を映し出
した(ような気がした(笑))んです。何となくですけど、それは自分の未来のような気がしました。そして走馬灯のように駆け巡った
映像は、だいたい20代くらいの若い自分で途切れていたんです。それから私は、「自分は20代で死ぬ運命にある。」と勝手に思う
ようになったのです。漫画やら音楽やらを趣味以上にやろうと思ったのは、「どうせ早死にするなら・・・」という想いからだったので
す。
時間というものはきっと一つのもので、人間が勝手に区切りを付けているに過ぎない・・・。赤いボロボロのミラージュを真冬の夜中
に走らせながら考えました。自分の人生の終わりを自分でイメージ出来たとしたならば、それは本当に事実上の「死」で、あの時の
イメージは当たっていたのではないか。という事は、もしかしたらもう次の人生に知らないうちに入っているのではないだろうか・・・。
夜中に妄想が駆け巡りました。それらの妄想をラブソングの中に暗号のように埋め込んで「未来」は完成しました。
かくして「未来」はオーディションに落ち、その後時は流れ、私は今もしぶとく生きています・・・。この曲は当時のアレンジでもかなり
良い出来でしたが、敢えて当時のテープはゴミ箱に投げ込んでアレンジし直しました。「そこから先・・・」に入ったんだ。きっと・・・。
裏切り
詞は自分では非常に良く出来たと思っています。基本的に私の場合、詞と曲はほぼ同じ比重で重視しています。もちろんインストな
んていうのもやってはみたいと思いますが(笑)。
悩!
実は精神的にかなり嫌な体験をした(そんなんばっかや(笑)!)2002年春の出来事を「忘れるんじゃ〜い!!」とばかりに作った
歌です。わざと「どういう出来事か」は分からない様な詞にしてあります(笑)。妬み、嫉み、逆恨み・・・分かりましたよ・・・。分〜か
〜り〜ました!!も〜おっ、いいッス!!ってな感じです(笑)。最近ようやく忘れてきました。・・・って、結局その程度かいっ
(笑)!?
悲しみを越えて
もし私がプロのミュージシャンで、自分のどの曲をシングルにしようかと考えたとしたならば、私自身はこの曲を強く推すでしょう。実
はこの曲は唯一の「企画モノ」みたいな曲で、自分の中ではある種の「イロモノ」だからなんです。意外なことに多くの方は「いい歌」
と言って下さいましたが、自分では「レトロなズレ」を狙ったつもりだったんです。・・・まぁ、何はともあれ、やや毛色の変わった曲を
作る事には成功しました。「悩!」とほぼ同時期、2002年の春頃作った歌です。
なつかしい冬休み
1997頃、横浜で作った歌です。一人暮らしで、月曜から金曜まで働いて、夜は夜で職場の人たちと飲みに行って、愚痴を言っ
て・・・そんなありふれた生活をしておりました。もしあのままの暮らしを続けていたとしたら、今頃は一体どんな感じになっていたん
だろう・・・なんてなことを時々思います。あの頃は何人もの女性と付き合い、そして別れました。(“同時”じゃないゾ!)彼女達の誰
かと結婚していたとしたら、今の嫁さんとは当然結婚してない訳で・・・。う〜ん、こう考えると人生はやっぱし、巡り合わせの妙なん
だなぁ・・・なんて思ったりします。ちなみにこの曲、某オーディションでは「詞が秀逸」とか「メロディーにポップなセンス」とか結構、高
評価でした。落ちたけど(笑)!
ひゅるりら
「なつかしい冬休み」とほぼ同時期(「なつかしい冬休み」の次)に作った歌です。当時の仕事は、神奈川県内を端から端まで駆け
ずり回るような仕事でした。はっきし言って嫌な思いをする事が多く、特に横須賀ではトラウマを数多く背負いました(笑)。そんな
折、「こんな事じゃイカン!仕事だけの理由で横須賀という街が嫌いになってしまう。」と考え、自分の中で「横須賀イメージアップ・
キャンペーン」をやってみよう!ってなぐあいに思い立って作りました。出来る限り幻想的に、出来る限り仕事を忘れる様な内容で
(笑)。横須賀も街から離れるとビックリするぐらい自然が残っていて綺麗ですよ!